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ナイスポ読者世代のヒーローといえば、ウルトラマンに仮面ライダー、王貞治、そしてジャッキー・チェン!いまやアジアのみならず世界のスーパースターとなったジャッキー! この度パチンコ台まで発売されることとなりました! 今年52歳となったジャッキー。年齢は中年のおっさんですが、まだまだ衰えることを知りません。そんな僕らのヒーロー、ジャッキー・チェンの特集です!
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◆経歴
僕らのヒーロー、ジャッキー・チェンは1954年に香港で生まれた。7歳で中国戯劇学院に入学し、盟友サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウらと共に、10年間にわたり`京劇aの修行を積む。学院の閉鎖後、映画のエキストラやスタントマンとして映画業界に携わり、やがてポスト・ブルース・リーとして売り出された。しかし出演した映画は特徴のないシリアスなカンフー映画ばかりで、全く人気が出ずに失敗となった。大きく挫折したジャッキーは家族のいるオーストラリアへ移住し、いったんは映画界から離れることとなる。
しかしその後、映画界に復帰したジャッキーは、カンフーにジャッキー得意のコミカルでアクロバティックな動きを取り入れ、1978年に主演した「酔拳」や「蛇拳」が記録を塗り替える大ヒットとなった。ジャッキーはこの今までにないコミカルなカンフーのスタイルで一躍スターの座を手に入れることとなった。日本でもこの「酔拳」が大ヒットし、カンフーブームが巻き起こる。そしてここからジャッキーの快進撃が始まるのだった。
香港映画界としてのジャッキー・チェンの活躍は、ブルース・リーの死後に新たなヒーローが望まれた結果だといえる。しかし、ジャッキー・チェンの場合にはブルース・リーのようなストイックなまでのカンフー・シーンだけではなく、ストーリーにコミカルさを加えたことや、時には命懸けのスタントを自らこなす姿勢を貫いたことで、ジャッキー、オリジナルのカンフー映画スタイルを確立し、人気を得た。
「蛇拳」「酔拳」「笑拳」でアジアのカンフースターになったジャッキーは香港の大手映画会社ゴールデンハーベスト社の専属スターとなり、アメリカに「バトルクリークブロー」で進出を狙った。しかし、結果は惨敗に終わった。続く「キャノンボール1、2」で再三のアメリカ進出を狙うも、これも成功には至らなかった。しかもこのシリーズは主演ではなく端役での出演でもあった。まだまだハリウッドには人種の壁があった。ジャッキーにとって、この1980年代前半は屈辱の時代といえる。しかし、四度目のアメリカ進出作品である85年のジェームズ・グリッケンハウス監督「プロテクター」が全米ランキング15位まで上り詰めるスマッシュヒットとなった。
しかし、アクションシーンのハリウッド的演出に納得がいかず、ジャッキーは、後日香港において自分自身でアクションシーンを撮り直している。人種の壁の前に納得のいく作品作りまでもできないと感じたジャッキーは、これ以降アメリカからしばらく遠のくこととなった。
b常にケガととなり合わせ
1985年9月7日。場所はユーゴスラビア。ジャッキーは「サンダーアーム」撮影中、城壁から木へ飛び移るシーンで頭骸骨を骨折するアクシデントに見舞われる。今までの事故の中で最悪のものであった。すでに全編の3分の1を撮り終えていた時のことであった。
朝から何度もテストとリハーサルが繰り返されて結果はいずれもうまくいき、監督であるエリック・ツァン(後日監督を降板)の指示で、カメラが回されることになった。監督のエリックが「本番」のサインを出すと、ジャッキーは城壁から大きな木の枝へ弾みを付けてジャンプした。しかし、着けていた皮の手袋が汗ばんでいたため、ジャンプして枝につかまった瞬間に手を滑らせ約12rの高さから頭から落ちてしまった。ジャッキーは大きな岩に頭を叩き付けられて、頭からおびただしい量の出血をしていた。撮影現場は蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、スタッフは泣き出し、ジャッキーの周りをウロウロするだけだった。ロケ現場が郊外の辺境な所だったため救急車が到着するのに30分もかかった。手術は夜中まで延々9時間にも及んだ。出血がひどく大量の輸血用の血液が必要だったため、スタッフが街中をかけずり回った。
すぐさま、ジャッキー・チェン重体、こんなニュースが世界中に流れた。各国のファンから山のような見舞いの電報が香港の事務所や病院に届いた。その思いが医師のメスにまで届いたのだろうか大手術は成功する。映画の中のジャッキーと同じく、現実のジャッキー・チェンも不死身だったのだ。その後ジャッキーは奇跡的に回復し、事故前と同じ超人的なアクションで中断していた撮影を再開する。しかし、木へ飛び移るシーンは残念ながら危険過ぎるということでカットされ、ロープ1本で50rを降下するというシーンに変わった。この事故の影響か、現在でも片方の耳は聞こえづらくなっているという。また、頭蓋骨骨折で穴が開いた部分には脳が出てこないようにプラスチックで押さえられているらしい。この映画のエンドロールのNGシーンの中に担架に担がれて頭から流血しているジャッキーのシーンがある。
b本物のアクション
1995年ジャッキーは、再びスタンリー・トン(「ポリスストーリー3」の監督)と組み、ハリウッド進出を目指すことになる。香港映画ではあるが、ゴールデンハーベスト社としても最後の賭けともいえる世界公開を目標に製作が進められた。それは、香港映画最大級の製作費14億円を投じ、全編ノースタント、あらかじめ全米公開を念頭にストーリー、アクション、全てが今までにない規模で作られた。ジャッキーはこの作品がアメリカで成功しなければ引退を覚悟していたという。映画の中での格闘シーンも今までにないスピード感を見せ、またスタントもビルからビルへ命綱なしでのジャンプに、西部劇での馬に引きずられるスタントを本物のホバークラフトを使ってやったりと、それこそ命懸けのアクションの連続であった。危険なアクションを撮ることに定評があるスタンリー・トン監督。その厳しい要求を、全てスタントなしで答えたジャッキー。2人にとって自信のアクション作がクランクアップした。そしてこの作品は何度も屈辱を味わわされたハリウッドへの最後の挑戦状でもあった。そしてジャッキー渾身の作品、「レッド・ブロンクス」は完成、公開されることとなった。まず香港で、その後アジア全土で大ヒットを記録する。
後に中国でも初の外国映画公開となりヒットをする。そしてそのアジアでの成功を受け、全米での拡大公開が決まった。ジャッキーはアメリカ中を周り、本物の、CGなどは一切使わない、ジャッキー・チェンの生身のアクションをプロモーションした。そして全米で公開されると、全米興行成績で初登場第1位となった。これは外国映画では初の快挙でもあった。「プロテクター」から10年、ついにジャッキーは全米を制覇した。2週目も2位に留まり、最終的には全米だけで3300万ドル、世界中で8000万ドルを稼ぎ出した。
その後「ポリスストーリー3」、「プロジェクトイーグル」、「ファイナルプロジェクト」、「ナイスガイ」、「ツインドラゴン」、「酔拳2」と過去の映画も公開されるや全てトップ10入りの大ヒットとなる。
ついにジャッキーはハリウッドで成功を収めたのである。
「レッド・ブロンクス」の成功でジャッキーは本格的なハリウッド資本の映画製作を考えていた。そして「WHO AM I?」撮影中、その現場を訪ねてきたブレット・ラトナー監督と対話の機会を持つことになる。ジャッキーはラトナー監督の作品「ランナウエイ」のテンポの良さ、主演のクリス・タッカーのマシンガントークのおもしろさに心惹かれていた。そしてラトナー監督の「ジャッキー、ハリウッドで成功するにはバディだよ」の言葉に納得した。ハリウッドでヒットするアクション映画といえばコンビもの、いわゆるバディムービーというものである。そしてブレット・ラトナー監督、共演クリス・タッカー、3000万ドルという低予算で製作されたのが「ラッシュ・アワー」であった。ジャッキーはギャラも200万ドル、内容も自分では納得できず、果たしてヒットするのか半信半疑であったという。しかし、「ラッシュ・アワー」は公開するや、大ヒットを記録した。3000万ドルの低予算の作品が全米だけで1億4000万ドル、世界で3億ドルを稼ぎ出したのだった。そしてこの大ヒットを受け作られた「2」は前作以上に成功し、全米で2億ドルを超え、世界でも3億ドル以上の興業大ヒットを記録した。この「ラッシュ・アワー」でジャッキー・チェンは完全に世界のスーパースターになったのだった。
bラッシュアワー3が公開
このハリウッド出世作となった「ラッシュ・アワー」シリーズ、いよいよ「パート3」が2007年夏公開される。ジャッキーのギャラはなんと1500万ドル!「パート1」は200万ドルである。ハリウッドでの成功は規模が違うことがうかがい知れよう。きっとジャッキーも驚いていることだろう。ちなみに今回のパート3では、大阪十三出身といってもいい、沈黙の帝王スティーブン・セガールと人気を二分する、ハリウッドを代表するアクションスターであり、某イリュージョニストとのその後も気になる、ジャン・クロード・ヴァンダムの出演が決まっているらしい。もちろん、ジャッキーとのバトルが大きな見所であろうこの作品、期待させてくれる。この「ラッシュ・アワー」シリーズ、全5作で完結の予定ということ。さらに、地元香港でもジャッキーは動いている。大ヒットした「香港国際警察ニューポリスストーリー」のベニー・チャン監督と再び組んだ、今度はジャッキー王道のアクションコメディとなる「BB計画」が完成! 10月に全米公開も決定している。日本公開は年末か。
そして日本のファンにはうれしいプレゼントが。パチンコメーカー西陣より、パチンコ「CRジャッキー・チェン」が登場! 演出は既存の映像を使用せず、当機のために新規で収録した完全オリジナル映像のみを使用し、ジャッキー・チェンの魅力を余すことなく盛り込んだとのこと。つまり、ここでしか見られないジャッキーアクションを堪能できるということだ。
b永遠のチャレンジャー
今年で52歳のジャッキー・チェン。年齢的にはもう人生のまとめの年齢だが、まだまだチャレンジしていくジャッキー。僕らのヒーローは人生に年齢など関係ないと教えてくれているようでもある。挑戦をあきらめた時点で人間は老いて行くものだと、最近のジャッキーの映画を見るとそう感じる。しかし、誰もがジャッキーのように生きられるわけではない。だからジャッキーはいつまでも僕らのヒーローなのだ。まだまだチャレンジしていくジャッキー、これからも僕らを楽しませてくれそうだ。
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こんな履歴書は嫌だぁ 写真が別人・・ |
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