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現役時代は“逆転の貴公子”と称され、活躍した元プロボクサー、高橋直人。引退、ジム設立、そして別れ…さまざまな苦難を乗り越え、彼は現在、キックボクシングジムのトレーナーを務めている。自身の半生、さらには現在のボクシング界についても熱く語ってもらった。
◆80年代後半に活躍
──かつて“逆転の貴公子”と呼ばれ、80年代後半から90年代にかけてボクシング界で活躍した高橋さんですが、ボクシングを始めたきっかけは?
高橋 中学校では野球部に所属してたんだけど、周りとの仲が悪くなって辞めたことがきっかけだね。「オレの何が気に入らないんだ!?」って文句を言えない自分に腹が立って。強くなりたいという気持ちから、何かやらなきゃと思ったんだ。その時にたまたまシュガー・レイ・レナードとトーマス・ハーンズの試合(※81年9月、WBA&WBCウエルター級王座統一戦。レナードの14ラウンドTKO勝ち)をテレビで見ちゃって。それまでボクシングってただの殴り合いというイメージが強くて、そんなに好きじゃなかったんだけど、その試合を見て感動したんだよね。それで「オレにはこれしかない!」と思ってボクシングを始めるんだけど。でも、オレにとってのボクシングって、“青春を懸けたもの”とかそういうものじゃなくて、生まれ変わるための手段だったんだ。もしかしたらそれが空手や柔道だったかもしれないし。たまたまボクシングと出会っただけであって、自分が強くなれたら何でもよかった。あんなに大好きだった野球を、簡単に捨ててしまった自分が許せなくて、大嫌いだったんだよね。でも、やっぱり運命的なものを感じる。空手だったらここまで強くなれなかっただろうし。
──その後、アベジムからプロボクサーとしてデビューした高橋さんは、87年に日本バンタム級王者となり、華々しく活躍。階級を上げ、迎えた89年1月の日本S・バンタム級タイトルマッチ、マーク堀越(八戸帝拳)との一戦(※注1)は史上まれに見る激闘となります
高橋 その試合のおかげで賞もいっぱいもらったし、19年たった今でも「いい試合だった!」って言ってもらえるしね。そんなのって滅多にないでしょ? あの一戦があったからオレのことを知った人も多いしね。そういう意味では、自分にとっても凄い試合だったし、ファンにとってもおもしろい試合と言ってもらえて、よかったなと。でも、その時は世界王者目指してたから、通過点でしかなかったんだよね。オレ、23戦やってるけど、その試合は結局23分の1なわけだしね。引退してから、特別な試合だったんだなと思うけど。ただ、あの試合はそう簡単にはマネできないだろう(笑)。
──高橋さんがたまたま『週刊少年マガジン』の「はじめの一歩」を読んでて(※注2)、「ジェイソン尾妻はどう考えても、マーク堀越がモデルだろう!」と、編集部に電話したというエピソードも有名ですよね?
高橋 そうそう! 黒人だし、三沢基地に勤務する軍人という設定も、何もかもソックリだったわけ。それで確認しようと思って電話したら、たまたま出てくれた人が森川ジョージ先生の担当の方で。で、こっちが「高橋ナオトですけど」って名乗ったら、森川先生の連絡先を教えてくれて。これも運命的な出会いというか、後々JBスポーツクラブを開くまでに至るんだけど。
──また、現役時代のハイライトといえば、東京ドームでのノリ・ジョッキージム戦(※高橋の判定負け)もありますね
高橋 あれって90年2月でしょ? 大きい試合は必ず1月か2月だったんだよ。マーク戦も1月だし。オレが現役時代所属していたアベジムって、ストーブがなかったから減量がもうキツくて、キツくて。う〜ん…やっぱりオレは運がないんだろうね(笑)。
──5万人の大観衆の前で試合をやれた充実感は?
高橋 それよりも、そんなに緊張しなかったね。観客との距離も遠いし、そんなに実感がわかなかった。後楽園ホールの方が客から近いから、緊張したよね。
──翌年1月、朴鍾弼(韓国)に9ラウンドKO負け。脳内出血が判明し、引退を余儀なくされるんですけど
高橋 現役を引退してからは知り合いのコンピュータ会社に勤めたり、ビルの清掃をやったりして…ジムをやろうと話がまとまった時にその仕事も辞めて。その間に実は『Number』でスポーツノンフィクション新人賞を受賞(※注3)したり、多い時には月に5本ぐらい連載を抱えて、ライターとして稼いでたからね(笑)。
──93年にJBスポーツクラブを設立。高橋さんは会長を14年務めましたが、昨年9月、JBを離脱。ジムも綾瀬から西新井に移転しましたね
高橋 まあ、いろんなイザコザがあって、西新井にオープンしたその日に森川先生と話し合って、正式に辞めることになったんだよね。もうJBはオレがいない中でやるという形を取ったんだから、今どんな感じなのかさっぱり分かんない(笑)。ジムを移転したのは、綾瀬の土地が競売にかけられたからなんだけど。
──そのイザコザとは?
高橋 まあ、ジム内部でもいろいろあったよ(笑)。一番の理由は、トレーナーも含めて、「このメンバーではやっていけないな」と思ったからかな。もちろんオレにも原因はあっただろうし。たとえば、他の格闘家が凄い練習をしてたら、ボクサーは奮起しなきゃいけないと思うんだよ。それなのに、トレーナーが「総合の選手は腹筋100回、ボクサーは50回」とか言うわけ。もし、オレが現役だったら「同じ回数やらせろよ!」と思うもん。そんなの自分が劣ってるって認めてるようなもんじゃない? それでも、ボクサーも何も言わないわけ。そこがだらしねえんだよなあ…。
──そういった部分で衝突があったと?
高橋 いや、そんなもんじゃないけど、ちょっとがっかりしたというか。
◆亀田には疑問
──JBといえば、福島仕(まなぶ)選手(※元日本S・バンタム級王者、元東洋太平洋S・バンタム級王者、現在は花形ボクシングジム所属)や本紙でもおなじみのキックボクサー、須藤信充選手の名前が挙がりますが
高橋 須藤は、実はJBのプロ第一号選手だったんだよね。キックから転向してきて。今のファイトスタイルとは、全く違ったからね。ハードパンチャーじゃなくて、よけるのがうまかったんだよね。でも、練習まじめにやらないから、スタミナがなくて(笑)。試合内容もつまんなかったな〜。たしかにパンチは食らわないんだけど、あんまり攻撃的じゃないし。
──東日本新人王トーナメントの決勝戦(※須藤が判定負け)が終わった後、破門にしたそうですね?
高橋 もう試合が終わった後、すぐに辞めさせたからね。その試合前にアイツ、練習に来なかったんだよ。それで「何やってんだよ!」って電話したら、「山ごもりです!」とか言いやがって。そんなの本当にやってるかなんてこっちは分からないじゃない(笑)。そこで「こいつは自分勝手すぎる。もう辞めさせよう」と試合前から決めてたわけ。だから、試合会場にファイトマネー持って行って、試合が終わったらそれを渡して、「もう来なくていいよ!」と言って、アイツを切ったの。
──それでも須藤選手はJBに練習に来てたみたいですね(笑)
高橋 そこがアイツの図々しいところなんだよね(笑)。「会長、サンドバッグ殴らせて!」「体重測らせて!」とかちょくちょくジムに来るようになって。「この野郎、よく来れるな!」と思ったけど、アイツって6年ブランクがあったのにキック界に復帰したじゃない? 昔と違って、まじめに練習するんだよね。そこで、オレもミット持つようになって、試合でもセコンドにつくようになったり。でも、アイツこそ天才だよ! 練習しなくても本当に強いもん(笑)。当て勘も天性のものを持ってるしね。アイツ、NPO法人の10何種類ぐらいある反射神経のテストを受けたんだって。その全部の数値がずば抜けてたらしいんだよね。どれぐらい凄いかっていったら、タイガー・ウッズとかミハエル・シューマッハ並みだって!
──えっ! 本当ですか?
高橋 テストを見ていた人が、「日本人でこんな数値出した人はいない。あの人、何者なんですか?」って言ってたよ(笑)。日本じゃなくて、世界のトップアスリートと同じレベルだって。
──現在、高橋さんはキック界とのパイプも生まれ、キックボクシングインターナショナル柏ジムでトレーナーを務めています。これはいつからですか?
高橋 昨年の12月から。「今、柏ジムの川井(りん太郎)会長がパンチを本格的に教えてくれるトレーナーを探してますよ」って、中川タカシ(※かつて新日本キックで活躍したキックボクサー)クンが紹介してくれて。オレはキックの経験もないし、パンチしか教えられないから(笑)。でも、それに関しては一番強い打ち方を教える自信があるので。
──今はボクシング界と距離を置いている高橋さんですが、昨年世間を騒がせた亀田問題についてはどう思いますか?
高橋 別にオレは何とも思ってないけど、ただ…内藤大助VS亀田大毅(※07年10月11日、WBCフライ級タイトルマッチ/内藤が判定3―0で勝利し、初防衛に成功)については言いたいことがあるんだよね。試合内容については、みんなが言ってるほどどうこう言うつもりはないの。目を突いたりとか、金的狙ったりとか、もちろんやっちゃいけないことなんだけど。ただ、オレが言いたいのは大毅が「負けたら切腹する」と言って、しなかったこと! 切腹っていう言葉を軽々しく使うなって。だって三島由紀夫や西郷隆盛、白虎隊に失礼でしょ? それが「ゼロからの出直しです!」って、そうじゃねえだろ(笑)。いや、「死ね!」なんて言わないよ。そんなの見たくないしさ。でも、そこまで言ったんだから「引退しろ!」と言いたいけどね。それを許しちゃう日本国民もやさしすぎるよ。
──賛否両論はありますが、亀田一家はマスコミを利用し、停滞していたボクシング人気に一石を投じた部分もあると思うのですが
高橋 でも、オレは賛同しないね。盛り上げたとかよりも、オレは「ボクシングをやりたい!」という少年がいかに増えるかを重視するから。亀田一家があんなにマスコミに持ち上げられても、練習生が減ってるのが現状だから。
──そうだったんですか?
高橋 みんなそれを分かってないんだもん。辰吉一郎の人気が爆発した時代は、練習生がどんどん増えて、ボクシング界も潤ったの。それとは逆だから。あと、これは編集者から聞いた話なんだけど、亀田一家が特集されたボクシング専門誌は、売り上げが落ちるんだって。これが現実だよ。
──ボクシング界の現状について何かおっしゃりたいことは?
高橋 これは昔から言ってるけど、もっとファンサービスに力を入れるべきだよね。K―1はやり過ぎだとか言われるけど、ファンを気持ちよくさせることは必要だと思うよ。ボクシング界はいまだに頭が古い人が多くて、「選手は試合で魅せればいいんだ!」という考えだからね。それはもちろんそうだけど、今、試合だけでファンを満足させられるヤツっている? 入場シーンを派手にしたり、あおり映像を作ったり、企業努力をしないとダメだよ。でも、何だかんだ言っても、ボクシングがなくなることはないよ! この先どんなに人気が落ちても、ボクシングという競技はなくならない。テレビもちゃんと放送し続けるだろうし。なぜなら、ボクシングは世界共通のルールのもと行なわれてるから。総合格闘技なんか全然ルールが統一されてないじゃない? 一方ではヒジが許されたり、一方では顔面への踏みつけが許されたり。いろんな団体があって、チャンピオンが何人もいたら、「誰が一番強いの?」ってなるし。
──高橋さんのボクシングに対する熱い思いがよく分かりました! それでは、最後に今後の目標をお願いします
高橋 オレはキックのことは分からないけど、このジムで“どうやったら強いパンチを打てるか”ってことを徹底的に教えていきたいよね。それをどうキックにつなげるかは選手たちの問題だけど。
◆高橋直人のココが凄い
【伝説のマーク堀越戦】
89年1月22日、後楽園ホールで行なわれたマーク堀越との日本S・バンタム級タイトルマッチ。試合は倒し、倒されの劇的な展開となり、9ラウンド2分42秒、高橋のKO勝ち。この試合は運動記者クラブボクシング分科会が選ぶ年間最優秀試合に選出された。通常、世界戦が選ばれるものなので、異例と言えるだろう。YouTubeでも視聴可能なので、チェックすべし!(文中※注1)
【宮田一郎のモデル】
高橋が週刊少年マガジン編集部に電話をかけたことがきっかけとなり、「はじめの一歩」の作者である森川ジョージとの関係が生まれる。そして、2人がボクシング談義に花を咲かせていると、同作品に登場するキャラクター、宮田一郎のモデルが高橋だったことが明らかに! ちなみに宮田は一歩の永遠のライバルであり、いまだに対戦は実現していない。(文中※注2)
【ライターとしての顔】
インタビューでも答えているように、『Number』で連載していた「ボクシング中毒者(ジャンキー)」がスポーツノンフィクション新人賞を受賞。本人は著書「殴られた犬の誇り」の中で、「ボクサーが自分の意志に反して肉体が壊れていく過程を表現した。ライターとして評価されたというよりも、自分のやってきたボクシングが評価されたのだろう」と語っている。(文中※注3)
高橋直人のことをもっと知りたい人は、「殴られた犬の誇り」(ネコ・パブリッシング発行/1470円)を必読!
◆パンチ専属トレーナー
高橋直人(たかはし・なおと)/1968年11月17日生まれ。東京都調布市出身。現役時代のリングネームは高橋ナオト。85年、高校在学中にアベジムからプロボクサーとしてデビュー。日本バンタム級と日本S・バンタム級の2階級制覇を達成。世界ランキング2位まで上り詰めるが、91年に現役を引退。戦績は23戦19勝(14KO)4敗。93年〜07年までJBスポーツクラブの会長を務める。現在はキックボクシングインターナショナル柏ジムで“パンチ専属”トレーナーとして後進を育成
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